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Feature Article – Sunrise or Sunset (Japanese)

かつて日本勢は頂点を極めたのだろう。
それはボブ・メーハーがプレイヤーオブザイヤーに登り、ジョン・フィンケルが世界選手権を総ナメにした2003年シーズンのアメリカがそうであったように、

あの頃、僕達日本人プレイヤーにとってアメリカのプロは憧れの存在だったのだけど、
当時のアメリカのプロと現在のアメリカのプロとは世代的に連結していない、
つまり現在とは明確に分かれた過去として切り取られた一部分『あの時代のアメリカ』であるという認識が僕にはある。

7年前の世界選手権、
津村健二はオリヴィエ・ルエルとの壮絶な戦いの末、プレイヤーオブザイヤーを獲得し、大磯、志村、諸藤という歴代でも屈指のタレントを擁した日本チームは勝利を収め、
森勝洋は自身、初めてとなるプロツアートップ8を優勝で決めた。
何よりも彼らは当時の認識でいうと世界的には無名よりの存在だった。

2011年の世界選手権はたしかにその7年前に状況は近い、
かつての世界選手権王者、三原という不動の主軸はあれど世界的には若く無名の2人の日本代表チームに新たな日本人の世界チャンピオン。

だけど今の日本勢は1つ時代の終わり、
日没前の最後の輝き、太陽が沈むその直前の光量自体はとても少ないけど直視できないくらい眩しくなる一瞬。
僕にはそう思えてならない。

それは残っているアクティブなコミュニティの数に、
残っているアクティブなプロプレイヤーに、
そして世代間での交流が断絶してしまった事に
どうしても感じてしまうんだ。

彼もまたそう感じているみたいだ。
サンフランシスコの最後の夜に彼と日本チームの祝勝会で卓を囲んだ時

おめでとうの次に話したのはおそらく自分たちが最後になるであろう、
これからの日本人プロを取り巻く環境とその後についてだ。
僕の今回の記事のテーマは世界チャンピオン、彌永淳也についてだ。
彼と彼を取り巻いていた環境、そしてエピソードについて語っていきたいと思う。

彌永はまだコミュニティ間、プレイヤー間での交流が残っていた頃、
7年前の僕が『第3世代』と呼んだ、
当時興隆しつつあった東京の若手グループの一人だ。

もともと『第3世代』という名称は当時の僕から見て若手集団といった感じのニュアンスだったんだけど、
より狭くは東京一円で開催され続けている常時100名前後参加する大きな草大会で活躍していた高校生前後のグループ、
後に少し範囲が拡張されて東京の別ブロックで開催されている同規模の大会の常連達を加えた、大学生までの集団(彼らも少しずつ年を取っているからね)を指す言葉だった。

この集団は本当に多くのスタープレイヤーを生み出した。
例えば渡辺雄也はこのグループ出身だし、
プロツアートップ8経験者でいうと鈴木貴文、山本賢太郎、高橋優太、小池貴之、井川良彦、石村信太郎と言った名前が連ねている。

当時、彼らに隣接する彼らより少し古株、『第2世代』を挙げようとすると一仕事になるだろうだろうね。
東京周辺の主なコミュニティ数は店や地域などで複数あり、例えば浅原晃を中心とした東京西部の八王子グループや、鍛冶友浩を送り出した埼玉グループ。
齋藤友晴、栗原伸豪の所属していた池袋、後に三田村和弥が頭角を現す千葉グループなんかがあった。

僕自身この定義では『第2世代』。
というより藤田剛史、石田格のような黎明期から活躍しているプレイヤー以外はほとんど第2世代に分類されるから、
第3世代という言葉には自分たちより『若い世代』という意味が多分に含まれていたんだと思う。
ただしこの場合の若いというのは自分たちと付き合いのあるコミュニティ内で比較的若いといった意味かな。
例えば八十岡翔太なんかは彼らと頻繁にドラフトする仲だったんだけど、
あまりに実力差があって毎回良いレアを持っていくので第3世代からは牧場主(=自分たちはヤソの羊だってことさ)なんて呼ばれていた。

 彌永はその当時からのプレイヤーでプロツアー日曜日の経験こそないもののグランプリ北九州チャンピオン、そして幻の日本選手権チャンピオンとして知られていて

 日本人プロの間では、実力はあるのにプロツアートップ8入賞がないプレイヤーリストの最後に残った1人という評価だった。
(本当は森田雅彦も、と言いたいのだけど彼はかなり前からプロツアーに対してある程度距離を置いているから難しいだろうね)

彼が初めてトーナメントシーンに顔を出したのは奇しくも7年前の2005年日本選手権からだ。
彼は1ターン目《山/Mountain》、《金属モックス/Chrome Mox》、《炎歩スリス/Slith Firewalker》という当時の赤単ビートダウンを操り、
日本選手権の決勝テーブルにまで、いや優勝まであと半歩まで来ていた
3本先取の2勝1敗で4本目も《歯と爪/Tooth and Nail》トロンを使う諸藤相手に《炎歩スリス/Slith Firewalker》から、《煮えたぎる歌/Seething Song》で《火と氷の剣/Sword of Fire and Ice》即装着、
諸藤もウルザトロンをなんとか揃えて《トリスケリオン/Triskelion》で対応しようとしたんだけど、とうとう諸藤のライフを0にした。

『今年度の日本選手権チャンピオンは彌永淳也』

だがその栄光は10分もなかった、
理由は4本目のある箇所だ

必死に防戦する諸藤がタップアウトで《精神隷属器/Mindslaver》を起動した時、
彌永の戦場にいたのは
《ちらつき蛾の生息地/Blinkmoth Nexus》と《火と氷の剣/Sword of Fire and Ice》が付いた《凍らし/Frostling》。
諸藤の戦場にはクリーチャーはいない

彌永はヘッドジャッジにルール上の確認をとった上で、
諸藤のエンドステップ中に《凍らし/Frostling》で自身を対象に生贄に捧げた。
だがこのプレイは本来できない。
何故なら《凍らし/Frostling》は剣の効果でプロテクション赤が付いていて、
いささか不思議な状態だけど自身を対象に自爆が取れなかったからだ。
だが、この時のヘッドジャッジの答えは『出来る』
と言うもので、彌永はこの回答を聞いてその通り最善のプレイをした。

関係者全てがその時最善と思える行動をしたと思う、
そしてその代償を支払い、生まれた傷は長い時間をかけて修復され、全ては過去の話としてこうして話せるようにもなった。

その時にその裁定を下したヘッドジャッジが遠い未来の世界選手権で日本語カバレージを取り、
彌永の試合を見ている風景なんて事情を知っている他人である僕としてはすごく感慨深い光景だと思う。
だが、それと物事の評価というのは全くの別問題だ。

この件はゲーム外の人間が行使できる力の大きさがゲームそのものに作用した悪いケース、
マジックの本質以外の要素がマジック自体をねじ曲げてしまった最悪の部類だ。
こんな事は二度とあってはならないと思うし風化させてはならない。

だがこの話がここで終わらなかったのが、僕が『最悪』と言わなければならない最大の理由だ。
既に傷がついてしまった決勝戦を、このマッチはビデオマッチだったから再現が可能だという理由で
なんとその場面まで4本目を巻き戻してやり直すという裁定が下されたんだ。
そのあとについては詳しく書く必要がないだろう。
彌永は幻の日本チャンピオンになってしまった。

この裁定が彌永にどういう影響を与えたかは、当時僕と彌永の面識が無かったからわからない。
だが、彼はトップ8入賞時に言ってたとおり間近に迫った大学試験の為にこの年日本で開催された世界選手権と日本代表チーム入りを辞退すると同時にマジックからも離れてしまった。これが実際に起こったことだ。

僕が彌永と話すようになったのはタイムスパイラルブロックの2007年、日本選手権で対戦してからだ。
マジックを離れていた彌永にとってはちょうど復帰戦だったらしいのだけど、
わずか半年後にはグランプリ北九州で優勝してしまい、
それ以降も安定してグレイビートレインを維持してしまうのは流石だね。

普段は物静かなんだけど、興味がある事柄には途端に積極的になるタイプ、
嫌いなことは絶対にやらない、とても合理的なものの考え方をしているんだけど、かと思えば義理をすごく大切にもする。
グランプリ北九州の優勝カップを育ててくれたからという理由で自分が普段遊んでいた草大会の主催者に寄贈したり、そういえば世界選手権では齋藤友晴の店、『晴れる屋』のシャツを着ていたりしたね。

書いてて掴みどころが無いやつだなと思ってしまうんだけど、
それも違うね、たぶん彌永を評すとしたら『ちょっと変わってるけど良い奴』だろう。

僕もなんだけど日本人の中では珍しいと言っていい旅行好きな性格で、
よくアジアのグランプリに一人旅で来ているのに遭遇したり、
ローマ史が好きという共通項があったりして09年のローマでの世界選手権後に延泊して遺跡を見て回ったりしてと彼とは気がついたら仲良くなっていた
だけどローマまでが彼にとってのプロマジックの区切りだったらしい。

その時に就職活動をする為にマジックからは再び離れると言ってたんだけど、
事実、大学の卒業が迫った2010年からマジックの舞台にはほとんど顔を出さなくなってしまった。
彌永が11年の日本選手権に出るという話を聞いた時には驚いたくらいだ。
でもそれより驚いたのは世界選手権かな、
彌永は元々世界選手権の参加権はあったのだけど、本人は出る気は全くなかった。
それが一転して出場する事を決めたのはマジックオンラインの世界選手権最終予選を勝ち上がったからだ。

『期待値を時給換算すればどんなアルバイトをするよりも効率が良い。』

とは彌永の口から直接聞いた言葉だよ。
マジックオンラインでの予選通過者には世界選手権中に開催される参加するだけで高額賞金が保証されているトーナメントへの参加権も付いてくるからなんだけど。

僕はまさに彌永ならではの発言だなと思ったね。
彼以外がそういったのなら、僕はジョークだと判断するけど僕は彌永が本気でそう思ってるし、本当にそういう理由で出場したと確信している。

もちろんマジックオンライン予選を通過するように彼はかなりを通り超えてのマジック廃人だよ。
でも同時に自分が言ったことについては常にそれを守る律儀さがある。
就職活動でプロマジックから離れると宣言したからには本当に出ない。それを実行してきたんだ。
彌永のマジックでの強みもそこだろうね。
要素の1つずつを丁寧に、確実にこなしていくタイプだ。その判断にブレがないんだ。

ブレがないと一言で済ますのはとても簡単だけど、
完璧に実践出来る人間というのは、僕が思うにこの分野で最も優れているのはパウロなんだけど、そんなパウロや彌永のような本当に少しの人間に限られているよ。

例えば君がマナを全てタップアウトの《火の玉/Fireball》で対戦相手を殺せる時に、
相手が《マナ漏出/Mana Leak》を既に持っていると考えて撃つのを止めたとしよう。
この判断について実際に持ってるか持っていないかは除外するよ。
とにかく君は3マナを浮かせた状態で打てるようになるまでターンを経過させることを選択したとする。
でも肝心の3枚目の土地を引かないんだ、
その間に徐々に対戦相手は有利な場を築いていく。
クロックはどんどん耐え難いものになっていき、次のターンには相手が何か一押しあれば死んでしまうというところまで追い詰められる。
そこまでいっても本体に打つのを我慢できるかい?
ほとんどの人は勝ちへの希望に諦めきれずに《マナ漏出/Mana Leak》を食らいに本体に打ってしまうだろう。

でも、彼らなら本体に《火の玉/Fireball》を打ち込むのを諦めて、
3マナ残して場のクロックに打つことを真っ先に検討するだろう。

あくまで僕の中の評価であって本人達が聞いたら
『そんなことはない』
って怒り出すかもしれないけどね。

もう一つ、彌永のマジックの強さを現すとしたら冷静な、時によっては冷徹すぎるくらいの判断力だ。
切り捨てるのがとても上手なんだ。
プレイングでは無いけど2010年以降にほとんどプレミアイベントに顔を出さなくなった理由は本人曰く
自分にとってプロツアーは勝たなくては意味がない、
そして練習に時間が取れなければ勝てないのだから意味がない、
だから出る価値がない。

というものだった。
それはマジック以外でも発揮されて、
時にはそれがとても突き放した物言いに聞こえてしまい誤解される事もあるけど、
彼はとても公平かつ的確な視点で語っているにすぎないんだ。

その証拠に彌永が自分自身を評価する時も同様に徹底的に自分を客観視する。
祝勝会で言っていた
『かつての第3世代中では自分が中位程度の実力者で自分より上はもっといた。』
と発言したり、
『実力で勝ったわけではなく(石村と一緒に作り上げた)デッキが強かった。たぶん歴代で一番弱いチャンピオンだ。』
というのは本人の本心からの言葉だろうね。
でも僕に言わせれば本人が言っていた期待値の4倍以上の賞金を稼ぎ上げたのは間違いなく彌永自身の実力だよ。

プレインズウォーカーポイント導入という大きな流れの中で、
これより先、これより後を区切りとして1つの時代が生まれるかもしれない。
そんな中で彌永は『あの時の日本』という時代を締めくくるのに相応しい存在だと思う。

そして解ってはいるけど敢えてこうも言いたい。

次のインビテーショナルに出るのは君の権利ではなく義務だ。

世界選手権が終わった後、
彌永は再びトーナメントマジックからは姿を消してしまい、
インビテーショナルにも出ないと言っていたのも宣言通りになるだろう。

だけど世界チャンピオンというのは勝つと負けるとかではなく、
そこに在るというのが求められる。
それは世界チャンピオンだけにある価値だ。

プレイヤーオブザイヤーに価値が無くなってしまったのとは、
金銭的なメリットが無くなって目指す価値が無くなったというのもあるけど、
何よりもそこに在るというのが求められなくなってしまったからだと僕は思う。
世界チャンピオンもそうなってはいけないと思うし、そうであって欲しい。

何よりも僕は彌永がインビテーショナルで戦っているところを見てみたい。
それは決して僕だけの意見ではないはずだ。

最後はかなり蛇足になってしまったけど
ここまで読んでくれてありがとう。

                               中村修平

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