Feature Article – Shouta Yasooka – Japanese

 かつて世界選手権が夏に開催された頃、まだ1ドルが120円で、グランプリに今ほど価値が無く、逆にプロツアーこそが全てで、そして年5回のプロツアーでも少ないと感じていた頃の話だ。

 1年半もあったシーズンの初めと終わりのプロツアーでトップ8入賞していた僕は当時の最高レベルを獲得していた。

「出来うる限りはマジックをやり続けたい」

 最初はそんな単純な動機だった。海外グランプリをサーキットなんてものを考えだしたのは、最年長の僕でもちょうど大学を卒業するあたり、みんなまだ若かったというのもあるね。

 大礒正嗣、鍛冶友浩、津村健志、志村一郎、そして森勝洋。彼らは当時から日本でもトッププレイヤーという評価だったし、前シーズンでの好成績から高レベルの待遇を持っていた。何よりもやる気と時間に余裕があった。

 このグループに少し遅れてプロツアー・プラハで優勝した大澤拓也と前年の世界選手権、ホノルル、プラハと連続して32位以内に入った八十岡翔太が加わったかな。

 意外だと思うけど斎藤友晴は当時は今のレベル6相当で、しかもマジックとは違うカードゲームもやっていたので時々の参加だったんだ。みんなも知ってるとおり、その後すぐに専業マジックプレイヤー/トレーダーになるんだけどね。

 でも最高の時間は瞬く間に過ぎ去ってしまう。

 大学への復学や進学、就職、サーキットへのモチベーションといったような問題から何人かが抜けていき、翌年にまで残ったのは僕と津村健志、斎藤友晴、八十岡翔太の4人だった。

 この4人組からその年には斎藤友晴が、そして、その翌年には僕が獲得して、全員がプレイヤーオブザイヤーの称号を持つことになるんだけど、それ以上に今のプロプレイヤークラブ上での『プロ』の有り様、海外グランプリを積極的に参加することによってプロポイントを稼ぐというスタイルを確立させたのは僕達だと自負している。

 僕にとっては、もしかすれば日本にとってもこの頃が黄金時代だったんだろうね。当時の仲間達の内、特にこの4人組である津村、斎藤、八十岡に特別の思い入れがあるんだ。
 仲が格別良かったって訳ではないのにね、僕らはそれぞれがまるで違った個性の持ち主だし、それはマジックについてもそうであって、例えばゲームシチュエーションの話で意見が合わずに丸一夜議論していたことなんてあったよ。深刻な喧嘩になったのも一度や二度ではない。個性的というのは往々にして欠点にもなるからね。

 それでも、少なくとも僕は彼らに対して特別な絆を感じている。

 みんなは斎藤友晴についてよく知っているよね。津村健志についてもそうだろうと思う。でも、八十岡翔太についてはどうだろう?

 日本人の間では僕達は同じくらいの評価をそれぞれ持たれていると感じているんだけど、海外の反応は残念ながら差があるように思えるんだ。

 なので今回の僕の記事は、ちょうど今この瞬間に第2の全盛期を迎えている『ヤソ』こと八十岡翔太についてみんなに知ってもらいたいと思い、書いてみることにしよう。

 八十岡について話そうとすると、少し時を遡ることになる。

 僕と彼との出会いは2004年の冬、The Finals2004が終わった後の打ち上げパーティーに参加して朝まで遊んだ後、始発の電車を待つために2人でマクドナルドに立ち寄ったところから始まる。

 マジックプレイヤーが2人揃って、しかも大会後なのだからマジックの話をしない訳ないよね。大会直後だったから大会の話を皮切りにこの1年の事やデッキについて、彼が直前のPTQで使用した《静態の宝珠/[card]Static Orb[/card]》入り《サイカトグ/[card]Psychatog[/card]》デッキについてなど、そんなとりとめなく話したことの1つに、翌年からやろうとしていた事、『海外グランプリをサーキットする事』だったんだけど、それについてヤソが賛同と言っても良いくらい凄く理解を示してくれたんだ。

 これには二重の意味で驚いた。1つはまだこの試み自体が誰もやっていない事、全くの未知の領域についてだった事。そして、この時のヤソのプロレベルは僅かに2で、次のPTホノルルの権利こそ持っていたけど、2つ先のプロツアーの権利さえ無い状況にも係わらずそう言う事について考えている事。

 もし、PTQを抜けたばかりのプレイヤーがそんな事を言い出したのなら、まずは冗談を言っていると僕は受け取って、その後は適当に相槌を合わせるだろうね。でも、その時のヤソには不思議とコイツなら、という雰囲気があったんだ。それが半年後に、確信へと変わったのはグランプリ・トゥールーズだ。

 このグランプリは僕達が初めてグランプリの為だけにヨーロッパへ行ったという事だけではなく、単体で1000ドルを上回る出費をした初めての大会だったんだ。この事は単純計算でレベル報酬の500ドルを差し引いても500ドル以上の赤字が出てしまう。当時のグランプリではトップ32で賞金250ドル、64位は0ドルだったのでトップ16に入っても赤字が確定しているという、今思えば狂気の沙汰のような提案だったんだ。ところがそんな提案に真っ先に手を挙げてくれたのが津村、大澤とそしてヤソだったんだ。

 直前のプロツアーを勝っている大澤や、その提案をした時に開催されていたグランプリ・クアラルンプールに勝っている津村は解るとして、ヤソはこの時ですらようやくレベル3に到達したかどうかというのにだよ。でもその頃には僕のヤソに対する評価は驚きこそすれ、相槌を打つだけではなかった。半年間の付き合いを経てヤソの実力だけではなくマジックの向き合い方を含んだ広範囲について、彼は本気だし、またその能力があるプレイヤーだと確信できたからだ。結果の方は、それでもまだ過小評価だったけどね。

 ヤソはその間に行われたチーム戦のプロツアーで優勝してPOYレースでも1位につけるだけではなく、トゥールーズで僕達は準々決勝で戦っていた。そればかりか、津村に続く日本人2人目のプレイヤーオブザイヤーに輝いたんだ。

 60点という年間獲得ポイントは今の基準で見るとちょっと少ないかもしれないけど、当時はグランプリで配られるポイント自体が少なかったという部分が大きい。グランプリは優勝しても僅か6点、トップ8で3点、トップ16で2点。トップ32までで辛うじて1点だったからね。何はともかく、この年の他のどのプレイヤーよりもヤソはPOYに相応しいプレイヤーだったよ。POY争いをしていた当人である僕がそう思うんだ。

 あぁ、それから、実際のヤソがどんな奴かというと…、少し説明が難しい。

 ヤソの口調はいささか断定的で、他人に自分の考えを説明するのをあまり好まない。かと言って話すのが嫌いという訳ではないんだけど、それが本心であるかどうかまではそれを隠したがるので中々見分けがつかない。慣れてくると冗談を言っているのか本気を言っているのかだいたい解ってくるんだけど、そんな性格だから時には僕達ですら一方的な物の言いようにしか聞こえないこともある。でも実際のヤソはとても思慮深いんだ。それが彼専門の分野、特にゲーム全般に対して、彼ほど洞察しているプレイヤーを僕は知らないよ。僕もそれなりにゲームが上手い人というのを見てきたつもりだけど、それくらい彼は際立っている。ゲームと名の付くものにはそれがおおよそどんなものでもヤソは驚くほど熟達した腕前を見せるんだ。例え、それがどんな初見のゲームだとしてもね。

 ヤソや津村やトモハル、そして僕達がマジックについて議論する時、その結論については各人でいつも開きがあったんだけど、そういう意味ではヤソが一番かけ離れていたと思う。僕達がマジックに特化したタイプで、マジックという土台を前提にして話をしているのに対して、ヤソはゲーム全般という土台の上に、更にマジックという土台を置いた上で話をしてた訳だからね。でもそれをヤソは表に出さずに、他の参加者の矛盾点に対して冷静に批評するという位置を好んでいた。もしかしたら半ば議論自体をゲームとして楽しんでいたのかもしれないね。

 ちなみに各人のプレイスタイルを短評するなら、トモハルは20点のライフという目標に対してテンポを重視したビートダウン的な思考が得意、津村はオーソドックスなアドバンテージ重視でコントロール好き、そしてヤソは状況をなるべく均衡に持っていきたがるか、対戦相手に選択の余地を与えないという状況を好んだ、という印象かな。僕が思うにヤソにとってマジックの1ゲームは到達すべき目標を設定するのではなくて、確かな道筋を探しだす作業なんだろうね。

 付け加えてヤソの長所を語るなら、彼がデッキビルダーだという点も外せない。しかもかつてから今に到るまで日本でも屈指のオリジナルデッキを持ち込んでくるプレイヤーだ。ギヨーム・ワフォタパが青いデッキを使い続けるように、ヤソもかなり強度な青好きとして日本人プレイヤーの間では知られている。青いデッキに何か表現しづらい、『ヤソらしさ』としか言いようのない要素が入ったデッキを持ち込んでくるんだ。

 それらのデッキは『ヤソコントロール』、『ヤソコン』とも呼ばれその作品の一部には禍々しいとまで言われものさえある。むしろその手の話は事欠かない。

 最近だとプロツアー・アムステルダムへ持ち込んだ《包囲の搭、ドラン/[card]Doran, the Siege Tower[/card]》と《謎めいた命令/[card]Cryptic Command[/card]》が同居したデッキなんかは『ヤソらしい』の典型だろうな。それとは別に『ヤソらしい』というエピソードにも事欠かないよ。
 今年のグランプリ・シンガポールでヤソが使用したデッキは当日の朝に組み上げてテストプレイを1回もせずに持ち込んだものなんだけど、ヤソを知る多くの友人達は「ヤソならばありえる」とトップ8入賞を含めて納得してしまったくらいだ。

 そんなヤソだけどレベル7で終えた07年シーズンから、プロツアーには参加するにせよ、スポットライトからは少し離れてしまう。でも、その離れてしまった理由はなんともヤソらしいよ。本人曰く「一度やってしまうと二度と戻れなくなるからやらない」と言っていた禁断の箱、マジックオンラインを始めてしまったからだ。

 当時の没頭ぶりが如何に凄まじかったかというのは、ヤソがマジックオンラインをやり始めて翌年から始まったオンライン上でのPOYレース、実際にはマジックオンライン上で廃人No.1を決める戦いでMOPOYを獲得して、ただ一人の現実世界/仮想世界両方でPOYを獲得したプレイヤーになったあたりから想像してほしい。この点はもっと評価されるべき事柄だと思うよ。最終盤の頃を現実の方で間近で見ていたけど、1時間おきのデイリーイベントに全て参加しながら試合の合間に寝るという生活を2週間以上に渡って続けていたんだ。僕にはとても真似できない。

 その壮絶な経験のお陰でマジックオンライン中毒から抜け出せたのか、ようやく去年からは足場が現実社会の方に戻ってきてくれたんだ。それと同時にプレイスタイルもかつてのスタイルから、少し変化していた。マジックオンラインの膨大な実戦経験から正確なだけではなく、勝つために時にはセオリーを崩すことも含めて完璧なプレイングをするようになったんだ。去年のスタンダードで環境を席巻しつづけたジャンドを見ていて特にそう思ったんだけど、ジャンド自体が使うのは誰にでもできるけど、熟達するのには気の遠くなるような修練が必要なアーキタイプで、僕が見た中でもっともジャンドが上手かったプレイヤーは間違いなくヤソだったよ。これまでの良くも悪くも正確なプレイングというスタイルから大幅に進化を遂げたんだ。これはヤソが実際にジャンドをプレイしているところを見たことがある人なら、ほとんどの人が賛同してくれると思う。それくらい際立っていた。

 今年は去年から比べてもヤソは更に充実している。2回のプロツアーで21位と18位、グランプリ・神戸では本人にとって悲願だったグランプリ優勝(通算トップ8入り13回目にして!)、グランプリ・シンガポールでもトップ8に入り、日本選手権でもトップ8入りと、今シーズンはグランプリ・パリ以外の大会で全て好成績を収めているんだ。

 フィラデルフィアやサンフランシスコで日本人のトップ8を予想するなら、僕はヤソ以外を選択するのはありえないね。

 それでは読んでくれてありがとう。

 この記事は8月中に書かれていた。 日本語で『8』と『10』と『丘』という苗字を持つ8月10日生まれの友人へ。

                                  
中村修平

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